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元スタッフが語る、コミュニティFMの使命と未来への思い

元スタッフが語る、コミュニティFMの使命と未来への思い

2022年2月、開局から25年続いたFMひらかたが閉局した。阪神・淡路大震災をきっかけに誕生し、東日本大震災後は東北との絆を紡ぎ続けた放送局、開局時から最後まで携わった石元さんに、FM BLOOM三宅局長が話をお聞きしました。


何もないところから始まった開局準備

三宅 石元さんは開局時からFMひらかたに携わっておられたんですよね。

元 そうですね。1997年1月15日の開局で、私は1996年10月からの採用でした。会社設立が96年7月1日で、行政が北大阪商工会議所、枚方信用金庫など地元企業によびかけ出資し設立されました。プロパーとして採用されたのは私を含めて4人です。

三宅 開局まで3ヶ月しかなかったんですね。

石元 初めて事務所に行った時、本当に何もなかったんです(笑)。サンプラザ1号館の3階で、ガランとした空間に長机とパイプ椅子がポンポンとあるだけで。「ここ本当に3ヶ月後に放送局になるんですか?」って思いましたね。

でも、会社が誕生するところに立ち会えるって、なかなかない経験じゃないですか。普通は既存の会社に途中乗車するわけですが、初めから一緒にいられる。それが魅力の一つでした。

三宅 当時、ラジオはお好きだったんですか?

石元 実は特別ラジオが好きだったわけじゃないんです。普通の人ぐらいのレベルで、どちらかというとテレビっ子でした(笑)。

ただ、音響の仕事をしたこともあって、音楽や何かを作ることには興味がありました。学生時代も文化祭のイベントなど、ゼロから何かを作り上げていく企画~制作というものが好きだったんです。その延長線上にラジオがあった感じですね。

「ラジオというおもちゃで遊んでもらいたい」

三宅 FMひらかたはどんな番組に力を入れていたんですか?

石元 開局から閉局まで続いた「ひらかたマテリアル」という夕方の生放送番組が代表的ですね。私がずっと担当していました。

番組の中で、インディーズアーティストをピックアップするコーナーもやっていて、開局翌日の最初のゲストが枚方出身のジャンヌダルクだったんです。半年後にはジャンヌダルクの番組も始まりました。

三宅 印象的だったのは、ゆるキャラの番組ですね。私もサテライトスタジオで見たことがあるんですけど、本当に面白かった。

石元 ああ、あれは本当にバカバカしいことを面白がるラジオ局の象徴でしたね(笑)。ラジオなのに音が一番ないゆるキャラが出るっていう。 狭いサテライトスタジオにぎゅうぎゅう詰めで、パーソナリティがどこにいるかわからないぐらい。

FMひらかたは「ラジオというおもちゃで遊んでもらいたい」という発想があったんです。聞くだけじゃなくて、出演したり、メッセージを送ったり、参加型の番組が多かった。普段と違う自分の顔が出せる場所、憩いの場所を目指していました。

三宅 枚方出身の有名人も結構出演されてましたよね。

石元 そうですね。Wikipediaに出てきそうな方は大体出てもらってますって感じで(笑)。辛坊治郎さんや、ハイヒールリンゴさんなど

東日本大震災、そして東北との絆

三宅 震災・防災への取り組みも印象的でした。今も元FMひらかたのXアカウントで、震災があったら発信されてますよね。

石元 もともとFMひらかた自体が阪神・淡路大震災がきっかけで誕生したラジオ局でした。でも東日本大震災は、その規模も影響も比にならないものでした。

あの災害は、1秒後に私たちの身にも来てもおかしくない。特に地震はいつ誰がっていうのがわからない。 全員が未災地にいて、未災者であるという意識で、ずっと東北のことを伝え続けてきました。

三宅 具体的にはどんな活動を?

石元 毎週、東北の放送局や地域の方と電話中継でつながって。直後だけじゃなくて、1年後、3年後、5年後、10年後と。そこに住んでいる人たちは、毎日がその災害後の今日を生きているわけで。

悲しみばかりじゃなくて、前を向いて頑張っている姿もある。でも笑っている裏には悲しみをずっと抱えている。それをどう捉えるかは、リスナーさんそれぞれ。私たちはきっかけを作る役割だけはしたいと思っていました。

特に災害のために立ち上がったラジオ局に勤めている人間の務めかなと、勝手に責務と感じてずっとやってきましたね。

突然の閉局宣告

三宅 閉局が決まったのはいつ頃だったんですか?

石元 正式に言われたのは、閉局の約2年前、2020年1月でした。その数年前から行政からの委託料は減額を繰り返していて、「自立しなさい」というコールが続いていました。

でも、そもそも利益が目的の企業じゃなかったはず。 防災・災害のための啓発が使命で、行政の放送料があることを大前提に、全体として収支がマイナスにならなければよいと言われていたので、「自立」を促されることに違和感がありました。

三宅 その時のお気持ちは?やっぱり悔しかったですよね。 腹も立ったと思います。

石元 相当に落ち込みましたね。心の処理の仕方がわからなくなって。

何より辛かったのは、まだ正式発表できない期間、周りに言えなかったこと。 目の前で今日も一生懸命番組を作ってくれているパーソナリティやディレクターたちは知らないわけです。 「今度こういう特番やったら面白いんじゃないですか?」って、いつも通りキャッキャ言い合いながら、普段と変わらず話をするわけです。

でも夜、一人になると、これ(昼間にみんなで話した未来の話)、もう実現することは無理なんやな…って精神的にめちゃくちゃ不安定でした。

三宅 若いスタッフへの思いも?

石元 特に10年近く在籍していた子たちは、20代後半から30歳前半で、仕事が面白くなってくる時期だったんです。 番組も評価されて、賞ももらって、右肩上がりだった。

30周年に向けて、こういうこともやろうって話していた一番楽しくてワクワクしている時期に、こんなことになって申し訳ないって。

私は25年かけて、数えきれない楽しい体験をできましたが、彼らの本来あるべきだったはずの多くの経験する時間や機会を守ってあげることができなかった。 次に続く子たちだったはずなのに。

三宅 でも、みんな一生懸命やってきて、やれることはやってこられてると思います。他局から見ても本当にすごいことやってる放送局だなって感じてましたので。

元 ありがとうございます。

三宅 関西のコミュニティFM局で、まさかひらかたさんが潰れるとは正直思ってもなかったんで、衝撃的でした。

ラジオドラマ「君の、空知らぬ雨」に込めた思い

出典 東北地方整備局震災伝承館

三宅 開局20周年企画として制作されたラジオドラマ「君の、空知らぬ雨」について教えてください。

石元 元々私自身がラジオドラマを作っていて、地元の劇団ホールジャックさんとも一緒に制作していたんです。20周年の企画の一つとして、東日本大震災をテーマにしたドラマを作りたいと思いました。

10年、20年経った時の風化が懸念されていて。何回も東北に足を運んで、中継もして、でもそれ以外にも何かしたいと。被災者の体験ひとつとってもいろんなケースがあるんですよね。 被災者一つとってもそう、それをラジオドラマで伝えられないかと。

三宅 劇団の方々も東北へ?

石元 そうなんです。 ドラマ制作が決まったら、自腹で東北まで行ってくれて。 「自分たちの目で見たい、耳で被災者の声も聞きたい。じゃないと役に入れない」って。

やるからには本気で伝えたい。代弁者でしかないかもしれないけど、その思いがすごく強かったんです。

三宅 全12話なんですよね。

石元 そうですね。一話一話は完結するけど、実は全部つながっているんです。劇団ホールジャックが得意とする交錯劇という手法で、複数のシーンで複数のストーリーが進みながら、最後に全部が一つに繋がる。

後半になればなるほど、「あ、このキャラクターは!」っていう場面が出てくるんです。

三宅 リスナーの反応は?

石元 「泣きました」という声がすごく多かったですね。私自身も収録しながら、目の前で行われる迫真の演技に、目をウルウルさせながら、ミキシング操作しながら…本当に忙しい収録でした。(笑)

閉局から4年、今思うこと

三宅 閉局から4年経ちました。今どう感じていますか?

石元 一つは、枚方の後に、尼崎、守口、八尾….など、次々に閉局の波が来てしまったこと。一番心配していたことが起こってしまって、本当に心苦しい。

FMひらかたの閉局によって、(地域ラジオ局の存在意義や重要さについて)改めて考えて欲しかったのに、それどころか単純な考えの元、不要論を唱える人がいたっていう事実も悲しいし、腹が立ちます。

三宅 ただ、FM尼崎は形を変えて残りました。

石元 そうなんです。 形は変えたとしても、周波数がちゃんと残って、自分の町のラジオ局を守り抜いた。それは最初の事例じゃないですか。私たちが潰れたことによって成果があったとするなら、それぐらいかなって。

でも、コミュニティラジオ業界としては大事件だったのに、世の中的にはほとんど知られていない。災害の時のためのライフラインの一つでもあるはずのラジオ局の話なのに。

コミュニティラジオって何?って未だに言う人もたくさんいる。そもそもラジオ局があったかどうか知らない人も多い。 理解が全く進んでいない。これは、放送局を立ち上げた当事者である行政のコミュニティFMに対する深刻な知識不足が起因しているのは否めないと考えています。

三宅 私はFM尼崎で長年パーソナリティをしていて、枚方さんが閉局されてから、まさか自分たちがその立場になるとは正直思ってもみなかったんですけど、藁をもすがる思いで石元さんにXのダイレクトメッセージを送らせてもらって。

石元 そうでしたね。

三宅 お話を聞かせてもらった上で、すごく参考にさせていただいた部分もあると思いますので、石元さんの思いも、私たちも僭越ながら少し引き継がせていただけたらなって思ってます。

つながっている、という希望

三宅 今回、このラジオドラマをFM BLOOMで放送させていただこうという流れになったんですけれども、このコラボレーションができたっていうのは、私的にはすごく嬉しくて。

石元 本当に嬉しいです。改めて聞いていただきたいし、聞いたことで、その種まきを手伝ってほしい。

劇団ホールジャックからのコメントがあるんです。「『君の、空知らぬ雨』は、FMひらかたさんが伝え続けていた『明日被災地になるかもしれない、ここに住んでいるあなたへ』を伝えるために作りました。様々な被災地の方にインタビューさせていただき、皆さんがおっしゃっていた『なかったことにしないでほしい』という切実な言葉を物語にした作品です。被災した方の痛みはその方にしか理解することはできないと思いますが、その思いを残すことは誰がやってもいい。そう思って向き合ってきました」

三宅 素晴らしい作品だなと思って。 7月から毎週日曜日に一本ずつ流させていただこうと思っているんですけれども。

石元 ありがとうございます。

三宅 うちの放送を通じてお聞きいただく皆さんに一言あればお願いします。

石元 12話それぞれの「あの日」が描かれているので、いろんな気づきのきっかけになってくれたら。 そして、12話が繋がっているっていうこともしっかりと感じてもらえたら嬉しいです。

私たちはみんな、自分の人生を生きてますよね。でも、無自覚に、いろんな人たちの人生にも絡んでいっているわけで。 誰もが必ず誰かの脇役になっているんです。

生きているだけで、目の前の大事な人、家族だったり友人だったり、そういう人たちとつながっている。でも気づかないうちに、実は、数え切れないいろんな人たちの人生の、節目や場面にも生きているんです。

三宅 そうですね。 必要とされてない人なんていませんからね。みんな本当に誰かの大事な人であって、主役であり、脇役であるっていうことですもんね。

石元 だから、ドラマを通じて、いろんな「あの日」を知ってほしい。そして、つながっているということを感じてもらえたら。

三宅 FMひらかたさん、まだ全然死んだわけじゃないと私思ってるんで。 石元さんはいまだにずっと思いを持って、それをリスナーの皆さんに届けたいって思ってらっしゃる気持ち、それを汲んでうちは放送させていただきたいと思ってます。

石元 ありがとうございます。本当に。 被災地のあの日をラジオドラマという形で、語り部活動を続けることで伝えたい想いを持って、それをリスナーの皆さんに届けたいって、いまだにずっと思っています。

このドラマが、また新しい種まきになってくれることを願っています。


ラジオドラマ「君の、空知らぬ雨」(全12話)は、2025年7月よりFM BLOOMにて毎週日曜日に放送予定。(7月12日はお休み)


インタビュー:三宅(FM BLOOM) 2025年6月 尼崎市内にて収録

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